OB・OGからの近況報告

中野麻希 2016年度1次隊 ネパール派遣(コミュニティ開発)

 

 ナマステ!白山市出身の中野麻希です。20167月から20183月までネパールに派遣されており、現在は栃木県の市役所で働いています。コロナ渦で故郷石川県に帰れず、寂しい日々を過ごしています。

私は2015年に発生したネパール地震の復興事務所に派遣され、小学校で防災授業や被災住宅の再建を促進する活動に取り組みました。災害に備え、壊れた家を地震に強い家に再建することの大切さを学校や地域コミュニティに伝えました。

 

活動中・・・村の小学校で防災授業を行っている様子。建築をやっている私の父がネパールを訪問したタイミングだったので、私の授業の後、父にも「強い家をつくるには?」というテーマで少し授業をやってもらったところ、村中から人々が集まってきました。(笑)

 

帰国し市役所での仕事を再開させ1年半が経った頃、台風による大雨災害が発生し甚大な被害を受けました。市の職員として多くの被災現場を調査する中で、日ごろから水路の清掃や草刈をして災害に備えていた地域は比較的被害が少ないように感じました。

 

災害が起こった時こそ、日常の備えが発揮されます。ネパールでの活動、帰国してからの被災を通して学んだ“備えの大切さ”を、これからも仕事や地域活動を通して伝えていきたいと思います

松田智子 2019年度1次隊 ブラジル派遣(日本語教育)

2019年度1次隊の松田智子です。わたしは、20197月から20203月末までブラジルで日本語教師をしていました。派遣先は、ピンドラーマ日本語という小さな日本語学校で、主に日系3世~4世の生徒が学んでいます。生徒たちが日本語を学ぶ理由は、「継承語」といい日本語や日本文化を残し、伝えていくためです。生徒たちというより、生徒の親御さんや祖父母の方々が望んで学ばせているといったほうがいいかもしれません。そんな背景でも、生徒たちはとても素直で、毎日真剣に学んでいました。

 

 わたしの活動は、もちろん日本語を教えることですが、それだけではありません。地域主催の行事がほぼ毎月あるのですが、それに生徒たちは参加し、歌や演奏の発表をします。それにむけた選曲や練習指導、当日はMCなども担当していました。発表後は、参加した生徒たちの達成感や成功体験になり、日本語へのモチベーションにもつながるので、とても大切に取り組んでいました。発表が終わった後のキラキラした生徒たちの顔を今でも覚えています。


その他にも、日々の授業の合間に図工や音楽、体育などの授業を取り入れました。ブラジルの学校では余裕がなく、主要教科以外はほとんどしません。ですので、生徒たちは楽しく、遊びの中で学ぶことができていたと思います。

 そんな中、新型コロナウイルス感染拡大の影響で帰国が決まり、日本に帰ってきました。はじめは、現地に思い残すことが多く、何も手につかない状況でした。しかし、日本国内に目を向けると、近くに日本語教育を必要としている人がたくさんいて、わたしにもできることがあると奮起し、国内での活動を始めました。内容は、様々ですが、主にオンラインでの日本語教育や地元小中学校への出前講座、日本語ボランティアなどです。

 ブラジルや国内での経験を活かし、今後はさらに日本語教育の知識を高めるため、進学を考えています。そして、さらにスキルアップし、国内外の日本語教育に携わっていきたいと思っています。

七條 孝司さん 2017年度3次隊 スーダン共和国派遣【環境教育】

 津幡町出身で環境教育隊員としてアフリカのスーダンに派遣されていました七條です。スーダンでは町役場の環境課に派遣され、町内会と一緒にゴミ収集方法の改善や町の美化に関わる活動を行なっていました。ところが、スーダンでは物価の値上がりに伴って市民が立ち上がり、約30年続いた政権を倒すこととなりました。そこまでは良かったのですが、一部暴徒化した治安部隊のせいで治安状況が悪化し、協力隊員はみな帰国せざるを得ない状況となりました。

         (スーダンにて町内会の人々と)

みなさんはスーダンにはどんなイメージをお持ちですか?スーダンはアラブイスラム文化とアフリカの伝統的な文化を合わせ持った国で、人々はとても穏やかで優しい人々でした。バスに乗っていて、日本人か、スーダンに来てくれてありがとうとバス代を(勝手に)払ってくれていたことも何度もありました。そんなスーダンに後ろ髪を引かれつつも、現在は日本のNGOの駐在員としてアフリカのウガンダに滞在し、南スーダンやコンゴ民、ルワンダなどからの難民居住地区での支援活動に携わっています。

(ウガンダにて同僚と)           どの国も馴染みのない国かもしれません。でも、ちょっとインターネットで調べてみると、そこで暮らす人々、そこで働く日本人、多くの発見がきっとあると思います。コロナ禍で遠出もままならない現在ですが、ぜひインターネットでアフリカへの旅を楽しんでみてください。

マ ラ ウ イ 日 記 ( 2 )

               私の活動の形

わたしの活動先のマラウイ北部にあるムズズ中央病院は、国内に5つしかない公立の上位医療機関で、配属された当時はスタッフとインターンを合わせ10人が働いていました。

気合い十分に、事前に病院までの道や自己紹介用のプレゼンテーションを作って臨んだ活動初日。

リハビリテーション科の診療開始時間は8時からで、わたしは時間ぴったりに着きました。しかしオフィスが開いていない。1人目の同僚がやってきたのは9時、数人がパラパラとやってきたのは10時、結局その日はスタッフ全員が揃うことはありませんでした。同僚に「他の人は?」と聞くと『さぁ?』と返され、それが日常なのだと教えられました。外来患者が治療を待ち、廊下に長蛇の列が出来る中での無断遅刻・欠勤とは派遣期間を通しずっと闘うことになります。

わたしが特に活動で力を入れたことの一つに、5S活動があります。マラウイに来る前は、病院もインフラが不整備で、医療人や医療器具、病院の予算など全てにおいて不足しているのだと思っていました。

しかし、活動先で見たのは積み上げられたドネーションの山。国全体で見ると物品は不足していますが、活動先は上位医療機関で、他国からのドネーションは高頻度に来ます。しかしその多くは使用方法がわからず放置されていたり、そもそも使う対象となる患者が少なかったりします。そのため受け取っても乱雑に放置されているケースが多く、いざ使う時には汚れや破損があり使用ができない。だからまた新たに物品を申請する、という悪循環です。これを改善させるため、月1回の5Sdayを設けて不要・破損物品の選別、整理整頓、使用方法の勉強会を開始しました。中心人物を決め、日程調整やその日のタスクなど全て決めてもらうようにしました。作業は順調に進み、半年後には歩行器や装具などの物品が治療で使えるようになった他、物置となっていた受付兼待合室、個室の治療室が本来の形で使用出来るようになりました。また、予想外だったのが同僚の変化です。最初の回はわたしを含め3人しか参加者がいなかったのが、回をこなすごとに徐々に参加者が増え、最終的には全員参加で行うになりました。

この活動を通し学んだのが、同僚を頼り、役割を与える大切さです。それまでは自分が中心となり、サポートとなる同僚を選び活動を行っていました。しかし中心人物を同僚に決め、「頼りにしている」「あなたはこんなことが得意だからこれを任せたい」と頼り、自分がサポートに回るよう意識したことでその後の活動は上手くいきました。また、自分自身“ボランティアで来ているのだから、何かを提供しなきゃ、残さなきゃ”という意識が強すぎたことにも気がつきました。国は違えど、彼らも一人のセラピスト。マラウイの理学療法士は日本では認められていない開業権があり、疾患の診断方法も学んでいます。その他、マラウイ特有の疾患の知識も深く、わたし自身がセラピストとして彼らから学ばなければならないことも沢山あったのです。“お互いがスペシャリスト”としてリスペクトしながら、得意なことを共有し苦手分野を補い合う、それがわたしの活動だと実感した出来事でした。

 

 次回はマラウイで出会った一人の女性とのお話を中心に報告します。(つづく)

マ ラ ウ イ 日 記 ( 1 )

 

Warm Heartなマラウイの人々

 

河上 彩   派遣隊次:2018年度1次隊

        派遣国:マラウイ共和国

        職 種:理学療法士

 

 わたしは青年海外協力隊員として、2018年7月から2020年3月までマラウイ共和国で活動を行なっていました。活動先はマラウイ北部にあるムズズ中央病院で、国内に5つしかない公立の上位医療機関です。その中のリハビリテーション科に所属し、理学療法士として活動していました。

 

マラウイはアフリカ大陸南東部に位置する国で、北海道と九州を合わせたほどの大きさです。英語、チェワ語が公用語でその他いくつもの現地語が使われています。農業が盛んで、マラウイのソウルフードであるシマ(日本のお餅と似た食感の主食)の原料のトウモロコシを作っている他、タバコや砂糖、茶が輸出されています。国土の約20%を占める美しいマラウイ湖や、The Warm Heart of Africaと呼ばれるくらい人々が温かいことで有名な国です。

マラウイに降り立った日のことは今でも覚えています。出国の時は「よし、やるぞ!」と期待と興奮でドキドキしていた気持ちが、飛行機から赤土が一面に広がる景色を見て急に「本当に2年間ここで活動するんだ」と実感が湧き、少しの不安とプレッシャーを感じました。その日は実際にマラウイの土を踏んでも、どこかまだふわふわとした気持ちだった気がします。

最初に首都リロングウエイで言語訓練を受けている頃、一人のマラウイ人に自宅でのランチに招待されました。実は、石川県の青年海外協力隊OBの友人です。出国前にマラウイで活動されていたOBの方とお話する機会をいただき、活動や生活のことを伺った際に紹介していただいた方です。ランチでは初めて会うわたしに「ここは君の家だよ、さぁ寛いで。一緒に話したいことが沢山あるよ!」と言い、家族のように迎え入れてくれました。これがマラウイで最初に感じたWarm Heartでした。

 

当時の不安の一つに、マラウイの人々は自分を受け入れてくれるのかがありましたが、OBの方と友人マラウイ人の方のお話、何年たっても仲の良い関係性を見てとても安心しました。JICAボランティア事業の目的の一つに「異文化社会における相互理解の深化と共生」があります。自分もこんな風に、お互いのことを知りそしてその縁をまた誰かに繋げていきたいと強く思いました。

活動先の視察でもマラウイ人の温かさを感じることは多々ありました。マラウイでは外来・入院ともに受診時に必ず家族が付き添い、リハビリテーションの様子もとても熱心に見ています。患者さんが1人で動作を出来ない時は、必ず家族が介助している姿を見かけます。医療人の不足や車椅子などの物品の不足、通院や介護に使える公的支援がないなど、人・モノの不足でそうしなければならない状況にあるという解釈もできますが、日本では「家族に迷惑をかけるなら施設にでも入りたい」という人もいる中で、頼り・頼られることが当たり前に出来る彼らを羨ましくも思います。そんなマラウイの人々に支えられながらの活動は、自分にとってとても楽しく充実感のある日々でした。しかし、全てが上手くいったわけではありません。

次回の報告では、よりわたしの活動と医療に焦点を当ててお話をしたいと思います。     (つづく)    

 

 

 

青年海外協力隊とは

 青年海外協力隊は、青年の海外に向ける熱い思いに道を開こうと1965年(昭和40年)4月20日に、わが国政府の事業として発足しました。    詳細へ

 

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