川畑 舞 隊員からのおたより

 

 派遣隊次:2021年度1次隊

 

 派 遣 国 :ナミビア共和国

 

 職  種:小学校教育

 

算数指導の様子です。

毎日、授業の終わりに一人ひとりの難易度を確認しています。


 

 ナミビア共和国では、乾季が終わり、雨季に突入しようとしています。小学校では、2学期が始まって3ヶ月が経ちました。1学期より4年生に算数を、4年生から7年生に情報と体育を教えています。

  初めに、算数では、昨年20%の児童が35点以下、60%の児童が60点以下だったのですが、55%の児童が60点以上の点数を取るまでに成長しました。1学期の間、実際に自分が算数指導を行うことで効果的な教材や指導方法を考えることができたので、2学期よりそれを算数指導に携わる先生に伝え、先生の授業改善に努めているところです。

  次に、情報教育では、ファイルの保存方法やタイピング、PPT(プレゼンテーションソフト)の使い方などソフトウェアの基本的な操作方法を指導しました。PPTでは、自己紹介ポスターを作成し、日本の児童生徒に向けて動画を撮って送り、交流を図りました。今後もパソコンのスキルのみでなく、日本の学校と交流を通して日本のことを子供たちに伝えていきます。

  最後に、体育では、タグラグビーやネットボール、リレーなどを行いました。ネットボールの試合では、7年生の児童より男子対女子で対決をさせてほしいとの要望があったので実現しました。7年生にもなると女子と男子で体格や運動能力に差が生まれるのですが、それが気にならない程、男子と対等に戦う女子の姿にたくましさを感じました。

 

左ー情報教育の様子です。日本について書かれた文書をタイピング練習に使っています。

右ー体育指導の様子です。ルールを守り、みんなが楽しく運動できるようにしていきたい。


今後も算数、情報、体育指導に携わっていきますが、特にナミビア共和国では算数に課題があるので、同僚と協力し、課題解決に向けて取り組んでいきます。

 

 

 

1年半の活動計画です。現在は、自分の授業に加えて、先生の授業改善に努めています。

 

 

 

 

OB・OGからのメッセージ

高野勝郎 2016年7月~2018年3月 フィジー派遣(環境教育)

「海がきれいな国に行きたい」青年海外協力隊への応募を決めた約7年前、派遣希望国を選ぶ際に私が設定した唯一の条件だった。石川県で生まれ育った私にとって、海なし国で生活するイメージが湧かなかったからだ。晴れて第3希望のフィジー共和国への派遣が決まり、毎日きれいな海を眺めながら活動できると浮かれていたが、いざ着任すると私の任地ランバサタウンは全く海に面していないばかりか、タクシーで40分かけて到着する海は、石川県の海より遥かに汚かった。南の島にもこんなところがあるのか、と衝撃を受けたが、結局は住めば都で、2年間でランバサは私にとって大好きな街になった。

 私の配属先はランバサ町役場保健課で、町で排出される廃棄物の減量や3Rの促進、学校でのエコプログラムを主に担当した。メインの活動となったエコプログラムは、私が着任した時は全く行われておらず、毎日汗をダラダラ流しながら歩いて各学校を訪問し、学校の先生方と話し、プログラムへの参加協力を依頼していた。冷たくあしらわれることもあったけれど、多くの先生方が突然やってきた英語も下手くそな日本人を歓迎し、温かく受け入れてくれた。2年間の任期のうちにプログラムへの参加校数は17校まで増え、町内全ての学校をカバーすることができた時は感慨深いものがあった。


ゴミの分別方法についてマーケットの売り子さん達に説明している様子

母の日の集会に参加したら突然子供たち向けの環境教育を頼まれ、急遽廃棄物ワークショップを開催

任地ランバサを離れる前日、お世話になった現地人の家で最後の晩餐を頂いた時の1枚。

この時食べたチキンカレーの味は忘れられない。


 私は現在JICA北陸センターにおいて、中小企業支援事業や草の根技術協力事業に関わらせてもらっている。隊員活動とは全く違うJICA内部の仕事を学ばせて頂き、毎日頭をフル回転させながらデスクに向かう日々はとても充実している。今でも「国際協力」の世界に身を置いているのは、いつかまたフィジーや南太平洋の国々に赴き、恩返しをしたいという想いが心の奥底にあるからだと思う。北陸と南太平洋の架け橋になることを夢みて、これからも精進していきたい。

後藤喜久 2014年1月~12月 パラオ派遣(視聴覚教育)

 私は民間連携ボランティアとして、パラオ国際サンゴ礁センター(PICRC)という、パラオ周辺の海洋環境に関する研究機関内にある水族館に赴任しました。赴任先の業務は、館内に設置されている映像設備の改善と、内容の充実です。映像設備の改善策として、来場者を楽しませるアトラクション機器(タッチパネル)の導入、パラオのサンゴ礁を保全するための環境教育を目的としたクイズやゲームの作成を実施しました。
 開発途上国での活動は決て平坦な道のりではありませんでした。日本のように仕事の環境が整っているわけでもありませんし、また予想すらできない問題が次々と目の前に現れます。日本の常識が通用しない中で、困難や逆境に立ち向かいながら、生活様式や文化、習慣の異なる現地の人とともに活動することで、グローバルな視野、コミュニケーション力が培われます。また、限られた環境や設備で、課題を解決するための、創意工夫・企画力、モチベーションを保つための精神力・忍耐力も必要とされます。

 JICAへ参加することにより、活動を通してこれらの様々な『力』を身つけ、帰国後に企業活動へ還元することが期待できます。JICAで実施した活動は、会社の中では経験する機会が少ない幅広い分野の方々の意見を知る貴重な体験であり、活動で必要とされるコミュニケーション力は会社に復帰した今でも大いに役立っています。異なる環境で、コミュニケーション等で不自由があるからこそ、改めて日本の環境のありがたさを理解し、相手の事を思いやる事の出来る良い機会でした。短期のボランティアにもかかわらず、JICA関係者を含め、たくさんの皆さんの御協力を得る事が出来たことに感謝しています。企業のグローバル人材育成やCSRとして、ますますこの制度が活用される事を期待しています。


石川県の皆様、明けましておめでとうございます。

私は、ナミビア共和国に派遣されてから5ヶ月が経ちました。学校の先生や大家さんの家族、スーパーの店員さんやタクシーの運転手さんなど、任地の人たちと色々な繋がりができました。以前は町を歩くと「ニーハオ!」と声をかけられていましたが、今では「こんにちは!」と言われることが多くなり、町の人たちは温かく日本人のボランティアを受け入れてくれています。

 

学校では、上学年の児童に算数、体育、PCを教えています。算数では、かけ算やわり算など既習事項につまずく児童が多く、学習の積み重ねが見られないという課題がありました。そこで、帯活動で計算タイムや復習の時間を取り入れ、既習事項を使って考える力を伸ばせるように指導しています。1年後、子供たちがどれだけ成長するのか楽しみです。その為に、日々の学習計画と児童一人一人の実態把握、同僚教員との連携を大切にしていきたいです。

 


 山本 岳人               派遣隊次2021年度1次隊

                                                派遣国:ベトナム社会主義共和国

                                                職種:番組制作

 ベトナムは旧正月を盛大に祝うため、元日の街中はいつもの土曜日でした。それでも日本らしく新年を迎えようと、近くのお寺で静かに手を合わせました。皆様にとって健康で実り多き一年となりますように。

 

昨年10月より、国営テレビ局・VTVで日本語番組の制作指導を行っています。同世代の仲間とともに、日本とベトナムをつなぐ情報発信に日々奮闘しています。YouTubeでもご覧になれますので、「ジャパンリンク」で検索してみてください!

私が住む首都ハノイは年末から新型コロナが再拡大し、深刻な大気汚染もあって外出さえままならない状況です。取材ができない歯がゆさはありますが、今こそ蓄える時、とばかりにベトナム語の教科書を再び開き、晴耕雨読の日々を楽しんでいます。

貴重な隊員生活もあと1年半。この経験を石川県に最大限還元できるよう、小さな一歩を積み重ねて参ります。本年もよろしくお願い致します。


マ ラ ウ イ 日 記 ( 3 )

    1人の女性と心を通わせるまで

 今回は、わたしがマラウイで出会ったある女性とのお話を書きます。その子の名前はデボラ。わたしの親友であり、元は患者でもあります。

 デボラと初めて出会ったのは、病院の外来でした。結核性脊椎カリエスという、結核菌が体に悪さをして手足に麻痺が出る病気を持っており、わたしが活動する病院のリハビリテーション科へ通院していました。その時のわたしは配属して一ヶ月ほどで、日本では経験したことのない疾患を勉強したいと思いデボラを担当しました。当時の配属先は患者担当制ではなく、毎回違うセラピストが患者を見るのが普通でしたが、マラウイではよくあるこの疾患の治療や回復過程を知っておく必要があると思い、無理を言って担当として関わりを継続しました。

 まず1回目の外来でやったのが身体評価や生活状況の聴取でした。話を聞くと、手の力が入らずに手で食事を口に運べない、歩くどころか立つことも座ることも1人で出来ずに自分はこれからどうなるのかと不安を抱いていました。身体評価をすると、確かに手の力は低下していましたが、腕を上げたり肘を曲げたりすることは可能であり、手に装具をはめて、そこにスプーンやフォークを差し込むことで食事が行えそうでした。使用した装具は、前回のお話で出た5Sdayで倉庫の整理整頓をした際に出てきたものです。すぐにデボラに貸し出し、簡単な指導をして一週間後にまた来るよう伝えました。そして一週間後、デボラは時間通りに外来に来て、「これなら自分で食べられたの!」とご飯を持参し食べているところを見せてくれました。そこからは徐々に立つ練習や着替えなど、日常生活に必要な動作練習を行って行きました。時には「もう体は動かない。どうしたらいい。」と言うデボラをサポートする家族の姿も印象的でした。歩く練習のための道具がないマラウイで、デボラの家族は毎日肩車をして練習を行い、彼女を献身的に支えていました。デボラが歩けるようになったのは、わたしとのリハビリを開始して1年後でした。

デボラがリハビリテーション室に初めて歩いて入ってきたのを見た時、自然と涙が出ました。マラウイに来て実感した、人々からの期待を裏切る自分のセラピストとしての知識・経験不足、信じた人に裏切られた出来事など、理想とかけ離れた無力な自分に疲れ切っていたのです。そんな中で毎回時間通りに外来に来て、家族と協力し自分の課題に向かっていき、自分の希望を叶えたデボラを本当に尊敬し、また自分を信じて通い続けてくれたことにも感謝しました。そこから外来が終了し、セラピストと患者の関係は終わっても、今度は親友としてずっと関係が続いています。今ではお互いのことを振り返った時、人種や立場など関係なく、“デボラだから”“アヤだから”信頼し合えたね、とよく話します。デボラは現在家事はもちろんのこと、陽気なマラウイの人々にとって一番大切なダンスも踊り、新しい仕事も頑張っているそうです。こうした繋がりをマラウイの地で作れたことを本当に嬉しく思います。

マ ラ ウ イ 日 記 ( 2 )

               私の活動の形

わたしの活動先のマラウイ北部にあるムズズ中央病院は、国内に5つしかない公立の上位医療機関で、配属された当時はスタッフとインターンを合わせ10人が働いていました。

気合い十分に、事前に病院までの道や自己紹介用のプレゼンテーションを作って臨んだ活動初日。

リハビリテーション科の診療開始時間は8時からで、わたしは時間ぴったりに着きました。しかしオフィスが開いていない。1人目の同僚がやってきたのは9時、数人がパラパラとやってきたのは10時、結局その日はスタッフ全員が揃うことはありませんでした。同僚に「他の人は?」と聞くと『さぁ?』と返され、それが日常なのだと教えられました。外来患者が治療を待ち、廊下に長蛇の列が出来る中での無断遅刻・欠勤とは派遣期間を通しずっと闘うことになります。

わたしが特に活動で力を入れたことの一つに、5S活動があります。マラウイに来る前は、病院もインフラが不整備で、医療人や医療器具、病院の予算など全てにおいて不足しているのだと思っていました。

しかし、活動先で見たのは積み上げられたドネーションの山。国全体で見ると物品は不足していますが、活動先は上位医療機関で、他国からのドネーションは高頻度に来ます。しかしその多くは使用方法がわからず放置されていたり、そもそも使う対象となる患者が少なかったりします。そのため受け取っても乱雑に放置されているケースが多く、いざ使う時には汚れや破損があり使用ができない。だからまた新たに物品を申請する、という悪循環です。これを改善させるため、月1回の5Sdayを設けて不要・破損物品の選別、整理整頓、使用方法の勉強会を開始しました。中心人物を決め、日程調整やその日のタスクなど全て決めてもらうようにしました。作業は順調に進み、半年後には歩行器や装具などの物品が治療で使えるようになった他、物置となっていた受付兼待合室、個室の治療室が本来の形で使用出来るようになりました。また、予想外だったのが同僚の変化です。最初の回はわたしを含め3人しか参加者がいなかったのが、回をこなすごとに徐々に参加者が増え、最終的には全員参加で行うになりました。

この活動を通し学んだのが、同僚を頼り、役割を与える大切さです。それまでは自分が中心となり、サポートとなる同僚を選び活動を行っていました。しかし中心人物を同僚に決め、「頼りにしている」「あなたはこんなことが得意だからこれを任せたい」と頼り、自分がサポートに回るよう意識したことでその後の活動は上手くいきました。また、自分自身“ボランティアで来ているのだから、何かを提供しなきゃ、残さなきゃ”という意識が強すぎたことにも気がつきました。国は違えど、彼らも一人のセラピスト。マラウイの理学療法士は日本では認められていない開業権があり、疾患の診断方法も学んでいます。その他、マラウイ特有の疾患の知識も深く、わたし自身がセラピストとして彼らから学ばなければならないことも沢山あったのです。“お互いがスペシャリスト”としてリスペクトしながら、得意なことを共有し苦手分野を補い合う、それがわたしの活動だと実感した出来事でした。

 

 次回はマラウイで出会った一人の女性とのお話を中心に報告します。(つづく)

マ ラ ウ イ 日 記 ( 1 )

 

Warm Heartなマラウイの人々

 

河上 彩   派遣隊次:2018年度1次隊

        派遣国:マラウイ共和国

        職 種:理学療法士

 

 わたしは青年海外協力隊員として、2018年7月から2020年3月までマラウイ共和国で活動を行なっていました。活動先はマラウイ北部にあるムズズ中央病院で、国内に5つしかない公立の上位医療機関です。その中のリハビリテーション科に所属し、理学療法士として活動していました。

 

マラウイはアフリカ大陸南東部に位置する国で、北海道と九州を合わせたほどの大きさです。英語、チェワ語が公用語でその他いくつもの現地語が使われています。農業が盛んで、マラウイのソウルフードであるシマ(日本のお餅と似た食感の主食)の原料のトウモロコシを作っている他、タバコや砂糖、茶が輸出されています。国土の約20%を占める美しいマラウイ湖や、The Warm Heart of Africaと呼ばれるくらい人々が温かいことで有名な国です。

マラウイに降り立った日のことは今でも覚えています。出国の時は「よし、やるぞ!」と期待と興奮でドキドキしていた気持ちが、飛行機から赤土が一面に広がる景色を見て急に「本当に2年間ここで活動するんだ」と実感が湧き、少しの不安とプレッシャーを感じました。その日は実際にマラウイの土を踏んでも、どこかまだふわふわとした気持ちだった気がします。

最初に首都リロングウエイで言語訓練を受けている頃、一人のマラウイ人に自宅でのランチに招待されました。実は、石川県の青年海外協力隊OBの友人です。出国前にマラウイで活動されていたOBの方とお話する機会をいただき、活動や生活のことを伺った際に紹介していただいた方です。ランチでは初めて会うわたしに「ここは君の家だよ、さぁ寛いで。一緒に話したいことが沢山あるよ!」と言い、家族のように迎え入れてくれました。これがマラウイで最初に感じたWarm Heartでした。

 

当時の不安の一つに、マラウイの人々は自分を受け入れてくれるのかがありましたが、OBの方と友人マラウイ人の方のお話、何年たっても仲の良い関係性を見てとても安心しました。JICAボランティア事業の目的の一つに「異文化社会における相互理解の深化と共生」があります。自分もこんな風に、お互いのことを知りそしてその縁をまた誰かに繋げていきたいと強く思いました。

活動先の視察でもマラウイ人の温かさを感じることは多々ありました。マラウイでは外来・入院ともに受診時に必ず家族が付き添い、リハビリテーションの様子もとても熱心に見ています。患者さんが1人で動作を出来ない時は、必ず家族が介助している姿を見かけます。医療人の不足や車椅子などの物品の不足、通院や介護に使える公的支援がないなど、人・モノの不足でそうしなければならない状況にあるという解釈もできますが、日本では「家族に迷惑をかけるなら施設にでも入りたい」という人もいる中で、頼り・頼られることが当たり前に出来る彼らを羨ましくも思います。そんなマラウイの人々に支えられながらの活動は、自分にとってとても楽しく充実感のある日々でした。しかし、全てが上手くいったわけではありません。

次回の報告では、よりわたしの活動と医療に焦点を当ててお話をしたいと思います。     (つづく)    

 

 

 

青年海外協力隊とは

 青年海外協力隊は、青年の海外に向ける熱い思いに道を開こうと1965年(昭和40年)4月20日に、わが国政府の事業として発足しました。    詳細へ

 

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