令和元年度 国際理解セミナー 講演

 

 「日本ときょうだい」のキルギス共和国事務局長として

 

        ~協力隊は素晴らしい

 

 講師:国際協力機構(JICA)北陸センター

 

所長 菊地 和彦 氏

 

 キルギス共和国事務所長として赴任すると「キルギス人と日本人はきょうだい」ということを何度も何度も聞く機会がありました。

 キルギス人と日本人が並ぶと、どちらが日本人かわからなくなるくらい風貌が似ていて区別がつきません。キルギス人の祖先はロシアのエニセイ川に住んでいた遊牧民で、「南下してきたときに、魚が好きな人は東に行って日本人になり、肉の好きな人は西に行ってキルギス人になった。だから日本人とキルギス人はきょうだいである」という言い伝えがあります。事実、赤ちゃんのお尻が青い「蒙古斑」は、キルギス人と日本人に共通しており、キルギス語の主語、述語の語順も日本語と同じです。

 

 キルギス共和国は、南が中国と接する中央アジアに位置し、札幌、帯広と同じ緯度であり、気候・風土も似ています。南側には4000m級の天山山脈がそびえ、「中央アジアのスイス」とも言われています。東方には面積が琵琶湖の9倍、世界透明度第二位のイシククル湖があり、美しい観光地ともなっています。面積は198,500平方キロメートルで日本の約半分。人口は600万人、首都はビシュケク、民族はキルギス系が73.2%、ウズベク系が14.6%、ロシア系が5.8%。国語はキルギス語、公用語はロシア語であり、宗教は主にイスラム教スンニ派です。貿易は輸出は金、衣類、野菜、果物などで17.9億ドルに対し、輸入は燃料、医薬品、たばこ等で44.8億ドル、輸入超過となっています。旧ソ連から1991年に独立し、WTOにも独立国中最も早く加入するも、旧ソ連の指導者が多く帰国したことの影響を受け、開発がなかなか進まないという状態が続いていました。農業・牧畜業が主産業であるが、労働人口の約30%を占めているものの、GDP比は14%の生産にとどまり、インフラは旧ソ連時代のものを使い続けていることも少なくなく、一人当たりGDPは約1200ドルと旧ソ連の独立国で最も低い水準となっています。

 

 一方、キルギス共和国は世界有数の親日国家とも言え、第二次世界大戦後の日本の復興、日本人の考え方や行動規範に対する尊敬の念が深いです。日本語学習者の人口比の割合は中央アジア諸国の中で最も高く、日本に行きたいという若者が多くいます。識字率は99.2%と高く、遊牧民族であったからか記憶力、耳で覚える力が高いと感じます。10代、20代が多い若い国家とも言えます。

 

 JICAの対キルギス支援重点分野は、輸出力強化とビジネス振興による、経済成長・貧困撲滅を基本方針としています。例えば、農産物の輸出促進の一つとして軽くて付加価値の高い野菜種子の育成プロジェクトを行っています。日本へも一部実際に輸出されています。ビジネス人材育成の観点では、「キルギス日本人材開発センター」というプロジェクトを行っています。日本のノウハウである5S、カイゼン、TQMなどの指導、日本語講座、相互理解促進事業などを行っています。最近は、日本企業のキルギス進出支援も行っています。さらには、キルギスから、これまで190名の留学生をJICA事業として日本に受け入れており、卒業生の中には大臣も誕生しています。また、輸出競争力強化のための道路、橋梁などの運輸インフラ整備も一つの柱です。その中には道路防災のための技術移転や維持管理の機材整備、運転指導なども入っています。

 

 JICA海外協力隊は、毎年30名程度が派遣されており、難しいロシア語、キルギス語に苦闘しながら、学校教育、青少年活動、リハビリテーション分野、職業訓練などに貢献しています。キルギスの人々は日本文化や教育に関心が高く、これまでの協力隊の協力が高く評価されたことから、日本の道徳教育を学びたいとの要請があり、現在派遣中です。そのほか、体育の授業にキルギスの国民的音楽に合わせた日本式準備体操を取り入れたり、サッカー中心の授業で男子中心の体育の授業になっていたのをドッジボールを取り入れて女子の体育への参加を促進したりという取り組みを行っている隊員もいました。その隊員は、日本ドッジボール協会に取り組みを紹介したところ、ボールやルールブックを同協会が寄付してくださることになりました。ドッジボールを通じ、ルールを守ること、協力し合うこと、準備をすることの大切さを伝えていました。また、キルギスのパン文化をさらに豊かにしようと、所属先の職業訓練校にメロンパンを提案し、それが口コミで伝わり、「日本のパン」という名称でスーパーで販売するようになったという隊員もいました。キルギスの国旗にも描かれている遊牧民族の住居の天窓の形に切り込みをいれることで、キルギス人にとって愛着をもったパンになりました。このように、隊員は、さまざまな状況にあっても、創意工夫で付加価値をつけ、人々に役に立つということを実践している例が多数あります。隊員の企画力、調整力、人間力にはいつも驚かされます。頭が下がります。

 

 村おこし・地域おこしのために専門家と隊員が協力し合い、大分発祥の一村一品運動をモチーフにした「一村一品プロジェクト」も行ってきています。もともと羊毛はたくさんとれていましたが、それを利用し技術開発等を行うことで外国にも輸出できる質の高いスリッパ、カバン、ぬいぐるみ、小物入れなどを製作してきています。各村の生活を保ちつつ、主に女性が集まって製品づくりを進めています。隊員は、巡回指導をしたり、デザインやパッケージの協力をしていました。日本の無印良品との連携で、日本でも販売されています。

 

 キルギス人の特徴についてお話しします。キルギス人は家族を大切にします。仕事よりも家族が優先です。家族の用事があると仕事を休むことは普通にあります。隊員も家族と同様に接していただいています。そのことは、家族の行事にも隊員が家族と同様に対応することも意味しています。たとえば、薪割りを手伝ったり、羊の屠殺も手伝います。伝統文化を大切にしており、「騎馬民族オリンピック」という大会も他国を交えて開催しています。そのなかには馬にのったラグビーのような競技もあります。馬は家畜で最も価値が高く、馬肉も特別な時にふるまわれるほど高価なものです。

 

 人と人のつながりが強い国です。会えば必ず握手をしますが、それにとどまらず、必ず会話を楽しみます。冠婚葬祭も大切にしていて、結婚式は何百人という人が出席し、皆でお祝いします。毎年12月には、各家庭で地域の方々へのお礼として食事をふるまうという習慣もあります。夏は夜9時半ごろまで明るく、首都のビシュケクでは家族連れが散歩をしている風景がよく見られます。

 

 日本とキルギスとの接点として特に強調したいことは、第二次世界大戦のあとの日本兵の抑留者がキルギスにもいたということです。125名の捕虜がシベリアからウズベキスタンのタシケントを経由してキルギスまで連れてこられました。約2年間、イシククル湖のほとりで療養所の建設に従事しました。キルギスの方々から温かいご配慮をいただき、親切にしていただいたと記録が残っています。全員が無事に日本に帰国することができたのはキルギスの人々のおかげとのことです。なお、建設された療養所は今でも使われています。                                                                                          (文責事務局)

 

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