吉田 麻以隊員からのおたより

派遣隊次:2022年度3次隊    

派遣国・地域:ケニア・キスム

派遣先:キスムカウンティ都市計画課

職種:都市計画

 

 

私の配属先は地方自治体の都市計画課です。道路の計画やマーケットの計画などを行っている部署に派遣され、地理情報システムを用いた計画の支援を行っています。

★民族・言語について

ケニアには40以上の民族があり、それぞれの言語・文化があります。また、ケニア国内でも標高差が大きく、地域ごとに植生も異なっています。地域によって環境も人も全く異なるためケニアを一括りにしては話せません。

私が住んでいるキスムにはルオ族が住んでいます。キスムはビクトリア湖に面しており、ルオ族は昔から漁業をしていた民族と言われています。ルオ族は隣の国のウガンダにも住んでいるそうで、民族と国が一致しないことが私にとってはとても興味深いなと思いました。

民族ごとにそれぞれの言語があるので、共通語としてスワヒリ語や英語が使われています。基本的にはほとんどの人が現地語(キスムではルオ語)、スワヒリ語、英語の3か国語を話すことができます。

 

 ★生活・生活習慣について

キスムの中心部には水道が通っており、断水はほとんどありません。停電はたまにありますが数時間で復旧します。一方でキスムの郊外に行くと、水道がなく水汲みに数時間をかけている地域もあります。中心部はほとんど舗装された道で、大型のショッピングモールもあり、アジア食材(味噌・醤油・うどん等)も買うことができます。日本に比べると治安は良くなく、ケニア人の同僚が強盗に入られた、スマホを取られたという話を聞きます。

朝食と昼食の間にお茶の時間があり、紅茶(チャイ)と揚げパン(マンダジ)がよく食べられています。街中にもマンダジを売り歩いている人がよくいて、道でも買うことができます。他にも焼きとうもろこし(メイズ)、ナッツ、果物、アイス、魚等も道で買うことができます。

 

 

キリスト教が多く、イスラム教、ヒンドゥー教の人もいます。キリスト教の人は日曜は教会に行く人が多いです。教会ではルオ語やスワヒリ語のゴスペルが歌われていて、カラオケ大会のような感じで面白かったです。キリスト教の人が多いためか、元旦よりもクリスマスの方が重視されているように思いました。パーティーのような雰囲気よりは家族でゆっくり過ごすという人が多くて文化の違いを感じました。

 

 

 

★受入国の食事について

任地のキスムのレストランでは、ケニア料理の他にインド料理、イタリア料理や中華料理を食べることができます。

 

ケニア料理は主食はウガリやチャパティで、お米も一般的に食べられます。肉は鶏肉、牛肉、ヤギ肉が一般的で、豚肉もあります。キスムではビクトリア湖で採れた魚(ティラピア、ナイルパーチ、オメナなど)が食べられています。魚は基本的にフライで、キスムでは生では食べません。

★職場の印象について

ケニアに来て、思った以上にシステムが整っている印象を受けました。例えば、送金システム(M-Pesa)は、スーパー、レストラン、露店等様々な場所で使うことができ、キスムではほとんど現金を使わずに生活することもできます。

職場では、例えば、用途地域等の法制度や、確認申請のような手続きも機能していて、予想以上に枠組みができていると感じました。他にも、勤務システムの個人アカウントで給与等がネットで確認できたり、確認申請の資料がデータでも保管されていたりして、発展しているなあと感じることの方が多いです。民間企業の方が申請に来られていて話したときに、その企業の方がペーパーレス化されているとのことだったので、民間企業の方がさらに先進的な取り組みがあるのかもしれないと思いました。

★働き方について

働き方の違いとして印象的だったのは時間の感覚の違いで、職種や人によるかもしれませんが、私の職場の場合は時間厳守ではないので、工期を最大限短縮して効率的に進めることを目標にする場合には、円滑に進まないこともあるかもしれないと思いました。一方で、空いている時間を通院や個人的な用事に充てて、育児と両立している人や別で事業をしている人もいて、働きやすい環境だという印象を受けました。

★日本と受入国の違いについて

交通事情の違いが印象的で、日本では都市部よりも田舎の方が車が多いのに対して、ケニアでは真逆で興味深かったです。

 

ケニアの公共交通は、都市間移動には鉄道・バス・マタツ(小型乗合バス)、都市内移動にはUber・トゥクトゥク・ボダボダ(バイクタクシー)等があります。キスムカウンティにはBRTの計画があり、サスティナビリティに対する考え方や将来像は日本と共通点があると思いました。

★旅行について

ケニアには国立公園が多くサファリツアーができ、各地域で気候が異なるので場所ごとに様々な動物を見ることができるので人気があります。ケニア人からよく聞く旅行先としてはモンバサ、マリンディ等のコーストサイドがあります。観光地でなくても、ケニア国内でも民族によって文化が大きく異なるので、ケニアに住んでいても他の地域に行くと、売られているものや食べられているものが違ったりして面白いと思います。

 

★格差について

 

ケニアでは所得格差が大きいと感じています。私の配属先の人は大学を卒業して職に就いており、公務員のため比較的富裕ですが、話を聞く限り元々裕福な家庭の人が多いと感じています。貧しい家庭の人が少ないのは、家が裕福でない場合は高等教育を受けることができないため、就くことができる職種が限られることも大きな理由だと思います。そのため、貧しい家庭の人は貧しく、裕福な家庭の人は裕福で格差が縮まらないと思いました。配属先の人から貧しい人に対して差別的な発言を聞くこともあり、貧困の格差は大きいと思います。

山本 岳人隊員からのおたより

             

  

    派遣隊次2021年度1次隊       

  派遣国 :ベトナム社会主義共和国          

 職種:番組制作

 

            VTVの同僚メンバーと

 ベトナムの首都ハノイで2度目の新年を迎えました。本年も皆様にとって健康で実り多き一年となりますように。

国営テレビ局・ベトナムテレビ(VTV)の番組アドバイザーとなって1年余りが経ちました。急速に発展する街の様子や活気ある人々の姿を見ていますと、新型コロナの猛威が遠い昔のことのように感じます。難解なベトナム語には相変わらず手を焼いていますが、心優しい同僚や現地の人々、そして日本からご支援下さる皆様のおかげで、日々楽しく刺激的な活動を続けられています。本当にありがとうございます。

 さて、隊員生活も折り返しを過ぎた今、「帰国後の社会還元」をいかに果たすか、具体化する時期となりました。試行錯誤は続いていますが、手探りで播いてきた種が少しずつ芽を出しています。その一つが、SNSを活用したインフルエンサー戦略です。去年5月、VTVの広報活動として始めたTikTokはフォロワーが40万人を突破。その大多数はベトナム人の若者です。気がつけばベトナム各地で「たけそーん!(私のニックネーム)」と毎日声をかけられるようになり、現地メディアからの問い合わせも相次いでいます。取材する側の人間が日々取材されることに戸惑いながらも、「あなたをきっかけに日本に興味を持った」「ますます日本が好きになった」という声を直に聞くことができ、本当に嬉しく思っています。(TikTok取材の様子)

 ベトナム人は「日本で2番目に多い外国人」、そして「石川県で最も多い外国人」となっています。技能実習生にまつわる諸問題やベトナム人による犯罪の増加など、課題は山積しています。それでも多くの日本人そして日本企業が今、最良のパートナー国としてベトナムを選び、ますます関係を深めています。私もその一人です。本年9月の帰国後は地元石川県を拠点に、映像コンテンツで日越をつなぐ活動に邁進し、微力でも隊員経験を還元してまいります。どうか変わらぬお力添えの程、よろしくお願いいたします。

(日本語を学ぶ学生たちと)

川畑 舞 隊員からのおたより

 

 派遣隊次:2021年度1次隊

 

 派 遣 国 :ナミビア共和国

 

 職  種:小学校教育

 

算数指導の様子です。

毎日、授業の終わりに一人ひとりの難易度を確認しています。


  ナミビア共和国では、乾季が終わり、雨季に突入しようとしています。小学校では、2学期が始まって3ヶ月が経ちました。1学期より4年生に算数を、4年生から7年生に情報と体育を教えています。

  初めに、算数では、昨年20%の児童が35点以下、60%の児童が60点以下だったのですが、55%の児童が60点以上の点数を取るまでに成長しました。1学期の間、実際に自分が算数指導を行うことで効果的な教材や指導方法を考えることができたので、2学期よりそれを算数指導に携わる先生に伝え、先生の授業改善に努めているところです。

  次に、情報教育では、ファイルの保存方法やタイピング、PPT(プレゼンテーションソフト)の使い方などソフトウェアの基本的な操作方法を指導しました。PPTでは、自己紹介ポスターを作成し、日本の児童生徒に向けて動画を撮って送り、交流を図りました。今後もパソコンのスキルのみでなく、日本の学校と交流を通して日本のことを子供たちに伝えていきます。

  最後に、体育では、タグラグビーやネットボール、リレーなどを行いました。ネットボールの試合では、7年生の児童より男子対女子で対決をさせてほしいとの要望があったので実現しました。7年生にもなると女子と男子で体格や運動能力に差が生まれるのですが、それが気にならない程、男子と対等に戦う女子の姿にたくましさを感じました。

 

左ー情報教育の様子です。日本について書かれた文書をタイピング練習に使っています。

右ー体育指導の様子です。ルールを守り、みんなが楽しく運動できるようにしていきたい。


今後も算数、情報、体育指導に携わっていきますが、特にナミビア共和国では算数に課題があるので、同僚と協力し、課題解決に向けて取り組んでいきます。

 

 

 

1年半の活動計画です。現在は、自分の授業に加えて、先生の授業改善に努めています。

 

 

 

 

OB・OGからのメッセージ

高野勝郎 2016年7月~2018年3月 フィジー派遣(環境教育)

「海がきれいな国に行きたい」青年海外協力隊への応募を決めた約7年前、派遣希望国を選ぶ際に私が設定した唯一の条件だった。石川県で生まれ育った私にとって、海なし国で生活するイメージが湧かなかったからだ。晴れて第3希望のフィジー共和国への派遣が決まり、毎日きれいな海を眺めながら活動できると浮かれていたが、いざ着任すると私の任地ランバサタウンは全く海に面していないばかりか、タクシーで40分かけて到着する海は、石川県の海より遥かに汚かった。南の島にもこんなところがあるのか、と衝撃を受けたが、結局は住めば都で、2年間でランバサは私にとって大好きな街になった。

 私の配属先はランバサ町役場保健課で、町で排出される廃棄物の減量や3Rの促進、学校でのエコプログラムを主に担当した。メインの活動となったエコプログラムは、私が着任した時は全く行われておらず、毎日汗をダラダラ流しながら歩いて各学校を訪問し、学校の先生方と話し、プログラムへの参加協力を依頼していた。冷たくあしらわれることもあったけれど、多くの先生方が突然やってきた英語も下手くそな日本人を歓迎し、温かく受け入れてくれた。2年間の任期のうちにプログラムへの参加校数は17校まで増え、町内全ての学校をカバーすることができた時は感慨深いものがあった。


ゴミの分別方法についてマーケットの売り子さん達に説明している様子

母の日の集会に参加したら突然子供たち向けの環境教育を頼まれ、急遽廃棄物ワークショップを開催

任地ランバサを離れる前日、お世話になった現地人の家で最後の晩餐を頂いた時の1枚。

この時食べたチキンカレーの味は忘れられない。


 私は現在JICA北陸センターにおいて、中小企業支援事業や草の根技術協力事業に関わらせてもらっている。隊員活動とは全く違うJICA内部の仕事を学ばせて頂き、毎日頭をフル回転させながらデスクに向かう日々はとても充実している。今でも「国際協力」の世界に身を置いているのは、いつかまたフィジーや南太平洋の国々に赴き、恩返しをしたいという想いが心の奥底にあるからだと思う。北陸と南太平洋の架け橋になることを夢みて、これからも精進していきたい。

後藤喜久 2014年1月~12月 パラオ派遣(視聴覚教育)

 私は民間連携ボランティアとして、パラオ国際サンゴ礁センター(PICRC)という、パラオ周辺の海洋環境に関する研究機関内にある水族館に赴任しました。赴任先の業務は、館内に設置されている映像設備の改善と、内容の充実です。映像設備の改善策として、来場者を楽しませるアトラクション機器(タッチパネル)の導入、パラオのサンゴ礁を保全するための環境教育を目的としたクイズやゲームの作成を実施しました。
 開発途上国での活動は決て平坦な道のりではありませんでした。日本のように仕事の環境が整っているわけでもありませんし、また予想すらできない問題が次々と目の前に現れます。日本の常識が通用しない中で、困難や逆境に立ち向かいながら、生活様式や文化、習慣の異なる現地の人とともに活動することで、グローバルな視野、コミュニケーション力が培われます。また、限られた環境や設備で、課題を解決するための、創意工夫・企画力、モチベーションを保つための精神力・忍耐力も必要とされます。

 JICAへ参加することにより、活動を通してこれらの様々な『力』を身つけ、帰国後に企業活動へ還元することが期待できます。JICAで実施した活動は、会社の中では経験する機会が少ない幅広い分野の方々の意見を知る貴重な体験であり、活動で必要とされるコミュニケーション力は会社に復帰した今でも大いに役立っています。異なる環境で、コミュニケーション等で不自由があるからこそ、改めて日本の環境のありがたさを理解し、相手の事を思いやる事の出来る良い機会でした。短期のボランティアにもかかわらず、JICA関係者を含め、たくさんの皆さんの御協力を得る事が出来たことに感謝しています。企業のグローバル人材育成やCSRとして、ますますこの制度が活用される事を期待しています。


青年海外協力隊とは

 青年海外協力隊は、青年の海外に向ける熱い思いに道を開こうと1965年(昭和40年)4月20日に、わが国政府の事業として発足しました。    詳細へ

 

お問合せは  

TEL 076-225-7002